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【報告】障害からひろがる表現とケア ともに創造するためのはじまりの一歩(2019年7月15日開催)

九州大学ソーシャルアートラボ 制作実践講座 フォーラム

撮影:富永亜紀子

 九州大学ソーシャルアートラボでは2018年度より、「演劇と社会包摂」に関するアートマネジメント人材を育成するための制作実践講座を開催しています。昨年は、多様な表現を支える為に必要なコト・モノを実践的に学び、受講生自身の活動に活かせるような講座としました。2年目となる今年は、「障害からひろがる表現とケア」をテーマとし、受講生にとって、多様な身体を持つ人々が参加する演劇作品の制作現場でのコミュニケーションのあり方や、ケアのあり方などを実践的なワークショップとフォーラムを通して知り考える機会としました。このフォーラムでは、「障害からひろがるとは?」「それを踏まえた表現とケアとは?」「ともに創造するとは?」など、タイトルの意味を劇場や福祉施設で障害者の表現活動に関わっている主な参加者の問いに変え、参加者とともに考えていく機会としました。95名のご参加をいただき、福岡近郊のみならず大阪府や三重県・沖縄県など遠方からも多数足をお運びいただきました。
フォーラムの前半はまず、本学教員の中村より、昨年度作成した「はじめての“文化芸術×社会包摂”ハンドブック」をもとに、マイノリティとマジョリティが共生する社会を目指すために必要なことと、個人の変化を促すための芸術的アプローチについて説明がありました。
 次に本学教員の長津より、昨年から一連の講座として実施している本講座について説明がありました。障害のある人との表現活動の現場は、身体を通じて表現について考える場であり、ともに表現することで障害について考える場でもあると思ったことなどを話しました。また、障害のある人が関わる表現活動の場ではケアが必要になるが、ケアをやる側もされる側も必ずしもやってあげるやってもらうという関係性ではないことがあり、そこで生まれる関係性によって豊かな表現へひろがることがあるということについて話がありました。続けて、身体にバラエティあふれる人たちとの演劇制作における「表現」と「ケア」について、倉品淳子さん(俳優・演出家)と森山淳子さん(認定NPO法人ニコちゃんの会代表)よりお話しいただきました。倉品さんは、「障害者との表現活動は、健常者だけでは生まれなかった新しい表現に巡り合うことができる」と語り、アーティストにとっては、とてもおもしろいことがたくさんある現場と話しました。森山さんは、「ケアスタッフも俳優もすべての人達が、自分がやれることをやる現場で、お互いがお互いを支え合う現場だった」と話しました。
 次に、吉野さつきさん(ワークショップコーディネーター・愛知大学文学部教授)よりアートマネジメントの視点から「アートと福祉」や「ケア」などの言葉の整理を含め解説していただきました。アートマネジメントの仕事は、芸術の為にマネジメントをしているのではなく、人が芸術によって幸せになるということを最終目的としてマネジメントしているのではないか。少なくとも自分はそうだ」と話します。また、福祉という言葉について、「2つの感じにはどちらも幸せという意味があり、ケアによって人が幸せになるということが福祉かもと思い、自分がやっているアートマネジメントに似てると思った」と話されました。そして、芸術の創造や表現の場は、健常/障害に関係なく、表現しやすい環境が必要だったり、個々の違いを活かしあえる環境が必要だったりすると話されました。これらのことを障害という視点から考えていると、そもそもみんな違う人間なのだから障害のある無しは関係ないのではという考えになったりするし、「何がケアで何がケアでないのだろう」「お互いに支え合うお互い様の関係性はどういう風に成立するのだろう」と立ち止まって考え問いを巡らせることが大事で、できることから一歩一歩やっていくことが大事なのではないか、と提起しました。
 次に、森田かずよさん(ダンサー・俳優・performance For All People.CONVEY[コンベイ]主宰)からは、「多様な人と創作するためには?」というタイトルで、「多くの人たちを募り創作活動を行うときに考えなければいけないこと」や「何がバリアになってしまうのか」などについて、義足のダンサーという表現者の立場と、指導者という立場から見えてくるものについてお話しいただきました。
 森田さん自身が医療的ケアを必要とされているということもあり「多様な人達と創作活動をする時の参加者に、医療的ケアが必要な人がいたら、その行為ができる人、つまり看護師や医者が1人でもスタッフにいるといい。」ということや「ケアを必要としない参加者は、ケアを必要とする参加者の介護者としての役割をとることがあるが、本当は介護者ではない、ということを考えなくてはいけない。」ということ「障害のあるなしに関係なく、それぞれの体の違いについて一緒に気づけるようなことがしたい。」ということを話されました。また、参加できるかどうか不安な子どもの参加者が、ウォーミングアップでやっていたことを見て活動を始めるようになったことなどが映像を交えて紹介されました。最後に、「何がバリアになってしまうのか」ということについて、「“心”と“人”と“場所”と“続ける”がバリアになる。」と提示されました。「心」は、障害者やその家族関係者にとって「障害の有無にかかわらず」などの言葉が入っていないと参加しにくいということ、「人」は、共演者の捉え方やケアスタッフの捉え方のこと、「場所」は、バリアフリーやアクセシビリティのこと、そして「続ける」は、細々とでも活動を続けることです。特に劇場プロジェクトの場合、長く続けることは本当に難しいけれど、続けるための環境整備をしていくことが必要なのではないかと提起されました。
 休憩前のワークショップでは、前半の内容を受け考えたことや疑問に思ったことについて、受講者が3~4人のグループで話し合いました。そしてそこで出た意見や質問を一つに絞り、提出してもらいました。

 後半は受講者から出てきた意見や質問をもとに登壇者とフロアを行き来しながらディスカッションを行いました。「重度障害者との表現活動についてもっと知りたい。」という要望について、登壇者からは、「受け入れ側はサポート体制などをどこまで整えればいいのか考えるが、どのような障害の重さかは様々なので、一概には言えない。その人たちの特性をきちんと理解し、真摯に関わっていくことが大事で、責任が取れるサポート体制を整えていくことが必要。」というアドバイスをいただきました。また、「お互い様のケア」について「支えたり支えられたりする方法ってどんなこと?」「お互い様のケアとは信頼関係のこと?」などの問いが寄せられ、「全部の壁(障害)を一気になくし信頼し合うことはそう簡単には出来ないので、お互い様のケアのケアは、イコール信頼関係ではない。個人同時で助け合うケアもあるが、違う専門分野を持ってる人(事業所)同士がお互いに補完をし合いながら、両方の領域で関わったときにプラスになることを考えていくのもケアになるし、関係性を持つために心の隙間を互いに空け合って交流するのもケアではないかと思う。」という意見や「障害者も健常者もお互いに遠慮や気遣いが行き過ぎて、表現が制限されてしまうことがあるので、お互いに何ができるかを言える力を持ってほしいし、チャレンジできる環境を一緒に作っていこうという気持ちを大切にして、諦めずに互いの気持ちを乗り越えていってほしい。」という意見が登壇者から出ました。
 また「芸術による幸せ」について、「どうして芸術に触れると幸せなのか? 表現を観ると幸せになれるのか? 自分が表現をすると幸せになるのか?」と考えを巡らせているという受講者に対して、障害者で俳優活動をしている受講者から「以前は自分にとても自信がなく、マイナス思考で自分はいなくていいのではないかと思っていたが、演劇を始めて自分はここにいていいと思えて、障害があってもありのままの自分でいいと思えるようになったことが芸術がくれる幸せです。」「演劇をやっている時は自分が生きているなと思えます。」という話がありました。登壇者からは「この場合の幸せは、単にハッピーということではなく、芸術と触れ合った時に、表現に込められたメッセージがダイレクトに個人に届いてそれぞれ感じたことも幸せだし、そのメッセージがいろんな人の理解につながったり制度が良くなったりすることも幸せなので、いろいろなレベルや関係の中でそれぞれの芸術による幸せがある。芸術による幸せも多様だと思う。」という意見をいただきました。
 最後に森田さんより「つい、『障害者はかわいそう』とか、『感動をもたらす存在』とか見られがちだけれども、舞台表現は、その偏見を変えていける力がある。障害者が表現活動をやっていくと、必ず、自分の障害と向き合うことになるので、辛いことがたくさんあるけれど、それを越えられると自信が持てるようになるので、障害のある人には、もっと芸術と触れ合ってほしい。」というメッセージをいただきました。
 今回は「障害」と「表現」と「ケア」が混在する創造の場について知り考えるフォーラムでしたが、参加者は、それぞれの考えや活動を進めていく為の手掛かりとなる多くの気づきを得られたと思います。
(文責:眞﨑 一美)